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「この中にワシの反物質が」

■(続き)陛下と副主席の会見について、今日のメールから抜粋。

 

遅かれ早かれ、中国は日本に侵略してきますよ。で、そのときアメリカは日本を守らない。アメリカは絶対に中国と戦争をしない。

どのみち日本が属国にならないためには自前で重武装するしかなく、もちろんコストはかかるけど、国民がその必要性に気づいて、覚悟していかないとダメ。自衛軍を持つための改憲手続きとか、重武装化を進めていく政権は、いまの民主じゃなくて、別の新しい政党です。

あと、天皇の政治利用はもちろんダメなんだけど、ローマ法王とかオバマが「世界の危機なので緊急に会いたい」っていえば、やっぱり会うと思うんですよ。逃げられない。

一切合財をひとことでいうと、「中国朝鮮に譲歩やむなし、ただし重武装化させてくれるなら」というのが、自分の考えです。

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月々たったの三千円で

■陛下と副主席の会見、ならびに小沢の発言について、今日のメールから抜粋。

 

たんにアメリカの犬から中国の犬になるということでなく、今後の日本がアメリカから距離を置いて武装中立化するためには、どうしても中国の感情を和らげる必要がある。今回の場合、その一ヶ月ルールを中国のために破るというのが世界に向けてのメッセージになる。

「新しい国家主席が誕生しました。さあパイプを作りましょう」では、お話にならない。たとえば陛下にお会いしたことで、出世レースで優位に立てるといったように、将来の中国に恩を売っておくのが大事。

あと、小沢の 「たかが一役人が内閣にたてつくな」は超正論。つーか、それこそが議院内閣制の本質だし。主権者(の代理)にたてつく公僕は、罷免されるのが当たり前。

自分も、天皇を軽々しく政治利用するのは控えるべきだし、陛下の体調を第一と考えるけど、政治利用上等、すべてを承知の上で賢明なふるまいをなさる陛下をみて、国民がいろいろなことに気づくっていう教育効果と、将来の外交戦略を考えたときには、やっぱり次の国家主席には会っておいてほしいと思う。

一ヶ月ルールが形骸化するんじゃないかってのは瑣末な問題で、「副」なんたらとの特例会見で天皇の格が落ちるんじゃないかってのが最大の懸念だろうけど、自分はあまり心配していない。「中国でトップを張るためには、日本の天皇に会わなくてはならない」というジンクスには高値がついて、今後の日本を助けるはずだ。

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「いただきマンモス」「ごちそうサマンサ」

「対象a」について、全体的な話。

作詞の細部について、技術的な話。

 

なぜ罪があるのか、それは欲望をあきらめたからだ。なぜ罰があるのか、それは欲望に限りがないからだ。欲望とは何か、(ラカンいわく)それは他人の欲望だ。では他人の欲望とは何か、それはどこまでも空虚であり、しかるに何か(対象a)を志向する純粋な媒体、構造、その輪郭、骨の尖である。

欲望を欲望すること、すなわち鏡に映る自己を愛すること、世界を愛するということは自分を愛するということである。ゆえに愛する他者は愛する自己である、ここに自己は生きたいと願い、あるいは死にたいと願うこととなる。

なぜ生きたいと願うのか、(真に)欲しいものがあるからだ。なぜ死にたいと願うのか、それを手に入れたからだ、いや違う、それはついにふれられないものであり、かつ、「いつまでも終わらないもの」であるからして、それを手に入れるためには、「それと一体となる必要がある」からだ。

原作における対象パートは梨花を主体として展開するが、果たしてそのありさまは、求めてかなわない欲望の流転である。「変われば変わるほど変わらない世界」、そもその始まりから決定的なまでに失われているもの、かかる不存在の存在、すなわちこれを悲劇という。

ときに、まなざしとは何か。それはたんなる視線でなく、みられているであろう自意識のうちに存在する「何か」である。自己をある行為(禁忌)へとかりたて、かつ、その行為と社会的規範との整合性を省みるその自意識のはたらき、これを名づけて懐疑という。

懐疑は自己を疲弊させ、恐怖を与える、自己から自由を奪い、身動きをとれなくさせる。しかしながら当該の主体は、かかる懐疑の束縛を積極的に解放し、真理(対象a)と一体となるべく試行する。ここに私は、懐疑の果ての陶酔(快楽、骨の尖、あざやかにみえて)、あるいは到達不可能性の瞥見(べっけん)からくる虚脱(無限につづく闇、すぐに消える)をみるのである。

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