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「私はレズなのだ」

「メメント・モリ」について。

 

旧(ふ)るごとに、人間の直感は例外なく磨耗するが、それを取り戻すことは、果たしてかなわない。とりわけ、その直感が自己同一性に係る純粋に直結していた場合において、その欠損の責を環境に帰属させた者は、相当に不安定となる。

純粋をこそ骨子とするその者にとっては、世界もまた純粋でなくてはならないのに、しかし現実はそうでないから、その者はその純粋により、自己の抹消を志向する。いわゆるニヒリズムの一形態であり、これもまた、自己と世界とのかかわりである。

――果たしてこの概観を表現せしめるにあたり、血の赤を用いるか、あるいは雪の白を用いるかという点において、両者の間には叙情的だがしかし致命的な、切磋と選択とが介在した。内実、前者に則して書いた曲も存在し、それを含めても、この曲は一昼夜で書き上がっている。

かくて、私は後者に依ることとなるのだが、それは私が新潟の生まれであることに無関係でない。空より来るそれは、純粋結晶であるからして、その色彩はすなわち真白(ましろ)、しかるに人の手がふれたそのとき、あるいは何らかの圧が加わったそのとき、果たしてそれはなお純白であるのかという問い、その情感は、雪国に住まう者にとっては、きわめて根源的、かつ卑近なものである。

あまねく白とは純粋の代名詞であるが、その切迫の度合いは人により異なるだろう。しかし私にとってその色は、この精神に直結する原始風景のそれなのであり、この人格を形成せしめる無二の礎石に他ならない。

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那須御用邸

「プリマ・ドンナに花束を」について。

 

僕=自己、君=世界、かつ、
僕=世界、君=自己。

世界の変革とは、自己の変革にすなわち同義、
もって、自己と世界とのかかわりである。

 

――果たして、現実における最大の幸ないし不幸とは、それがあること、またはないことに「気づくこと」である。

ひるがえって、気づかずにいられたなら幸せだったのにと悔いる自分も、どうして今まで気づかなかったのかと恥じる自分も、気づかぬままに万能の感覚を享受していたおろかしい自分も、気づいたがゆえに何をか喪失してしまった悲しい自分も、その当人にとっては、すべて等しく尊いものなのである。

子曰く、「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」(論語)と、しかして私はこの曲を、矮小な自己をして絶大な世界とのかかわりを覚悟せしめ、かつ不器用ながらも厳粛な一歩を、貧小ながらも重大な一歩を踏み出さしめる物語にすると決めた。

かかるゆえん、この曲の副題はまさしく「まごころを君に」なのであるからして、世界の変革のために自己のそれを志向した自分を、あるいは恐怖と激痛とがともなう中で無意識のままにその一歩を踏み出した自分を、果たして否定も肯定もせず、ただ一心に認容し、その正しさを懸命に祈るようすを、私は書きとどめようと試みた。

内実、歌詞にある「たったひとり君のために 僕は特別なものになる」ありさまは、およそ当人が頼れる事象こそ絶無である現実において、唯一無二、心(しん)の鼓動を同じうする一対に係る相手方、すなわち自分自身を敬愛し、重んじようとする態度である。

つまり、このままならない現実において真に肝要なる概念とは、任意の現実に対し、無知な自己であれ、これを能動的に適用した場合における「劇的なまでの不器用さ」なのであり、果たしてそこから得られるであろう、当人の「気づき」なのである。

いったい、それが幸であるか不幸であるかは、まったくみるべきところでない、なかんずく我々が刮目すべきは、「そして世界が進んでいること」に他ならないのだ。

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ノダちゃんオーラをくらえ

親父の話では、新潟代表の日本文理が試合をしていた本日午後、
県内の幹線道路やスーパーの駐車場はガラガラだったそうだ。

もし決勝まで行ったら、その日の新潟は誰も外出しないだろうね、
ともかく県勢初のベスト4だ、このまま優勝まで突っ走ってもらいたい!

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急ごう風が止む前に

最高裁の国民審査については、下記のとおり×を付けるつもりでいる、
有名無実で問題の多い制度だと思うが、まずはまじめに参加したい。

 

×竹崎 最高裁長官
(裁判員制度を主導)

×那須 弁護士
×田原 弁護士
×近藤 裁判官
(和歌山カレー事件について決定的証拠がないまま上告棄却、死刑確定)
(国籍法について違憲判決、父親の認知のみで子の日本国籍をみとめる)

×涌井 裁判官
(国籍法について違憲判決、父親の認知のみで子の日本国籍をみとめる)

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ビバルディ wiki

広瀬香美のtwitter曲をきいたけど、なんだろう、このいやな感じは、
つーか、いま曲名をタイプしかけて避けたもの、字面的にも拒否反応あるし。

「ロマンスの神様」で思い出補正かかってるのはみとめるわ、
でも頼むからもうちょっとひねってよ香美さん、えらいやっつけくさくない?

だいたい、流行の確認行為はやっちゃダメだって、
年末の初耳流行語大賞とどっこいで、はっきりいって野暮ったい、ダサい。

もっといえば、この曲からtwitterネットワークへのフィードバックが皆無で、
たんにヒロセが搾取して終わりになってる状況もまずいわ。

この曲にまた新語が生まれるような仕掛けがあれば違ったかもしれない、
曲もつぶやきのひとつっていう機能への寄与、そういうのがたぶん必要。

結局、広瀬香美はいつもどおりマスに向けて曲を作ってしまったわけで、
ヒロセ、お前のつながり方ぜんぜんゆるくねえじゃん、っていう違和感だわ。

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さよならダガールまたきてコマク

先日読んだ麻雀漫画「打姫オバカミーコ」で、
不覚にも雷に打たれるような感覚を味わった。

 

一つ目は、
Tehai1
からの五萬切りによる、

Tehai2
このイーシャンテンの美しさ。

 

二つ目は、
Tehai3
からの四萬切りによる、

Tehai4
このイーシャンテンの正しさ。

 

いままでの自分は、このように打ったことが一度としてなかったし、
イーシャンテンの必然性は、状況の読みに包含されるものだと思っていた。

最近は、麻雀漫画もかなり高度になってきている、
というわけで「打姫オバカミーコ」、オススメだ。

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ヤマなしオチなし意味深長

マニフェストの位置づけが、いまひとつ理解されていないように思う、
それはあくまで事後的に、その進捗度合いを評価される性質のものだ。

マニフェストとは、「各党が次回の選挙までに何をするつもりであるのか」でなく、
「与党が今回の選挙までに何をするつもりであったのか」を示すものである。

だから評価の対象となるべきは、今回の選挙における各党のマニフェストでなく、
前回の選挙における与党のそれであるということだ。

マニフェストとは、与党が自作し、自らの首を差し出す断頭台である、
作りが甘いという指摘は当たらない、要はその台を稼動させるかどうかなのだ。

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