グラハムの介入について
ながくマーケティングにさらされた人間は、それはもう、ひどく疲弊する、
気づかないままに奪われ、知らされず、錯覚させられ、また駆り立てられる。
果たして彼らは安らぎを求め、あるいは補填を求めてネットにつながる、
彼らは現実を超克する手段を求めていたし、ネットはその可能性を秘めていた。
つまるところ、なぜネットはこれほどまでに浸透したのか、
それは、「ネットのなかでは誰も負けずに済む」からだ。
ニュースも娯楽も慰めも、話し相手や攻撃対象でさえ、いまや簡単に手に入る、
彼らが欲しいと思ったものは、すべてネットが現実から奪ってきてくれる。
しかして彼らは返り討ちに遭わない程度には匿名で、
かつ自らの行為が大きなうねりに連なるという、確かな手ごたえを感じている。
すなわちこれは略奪の快楽である、奪還したかつての自分の一部である、
奪われることに疲れきっていた彼らは、かような感覚とよく親和した。
そんなくだらないものに金を出せるか、ネットでコピーすれば済む話だ、
どうした、早く私を楽しませろよ、そこで踊れ、みていてやるから。
ほら、今日もどこかで金持ちが損をする、権威が失墜する、
因果応報だ、ザマをみろ、ああなんてメシがうまいんだ。
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